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おかげさまで4000号に到達しました

   「まもなく とびある記4000号到達と思います。先日、慶應大学の学生たちにも紹介しておきました。偉大なる記録に敬意と祝意を表します!」総務省税務局のK課長さんからそのようなメールを頂戴いたしました。
   平成7年5月に池田市長に就任して1年後くらいから「池田市でのケーブルテレビ局の開設」の動きが始まりました。「無線の時代に今さら、有線のケーブルテレビ?」「そのケーブルこそが、双方向性通信のモデルに・・・」色々なご意見を頂戴しながらでしたが、今で言う官民連携の初期のモデル事業と言っても過言ではないでしょう。「池田マルチメディア株式会社(平成8年8月30日設立)」によるケーブルテレビの放送を前にして、会社がまず最初に手がけたのは「インターネットプロバイダー業務」でした。私としては「????」でした。何せ今から21年も前のことですから。
   そんな時、「世界でただ一人の市長になりませんか?」と話しかけてくれたのが、当時の池田市企画部長のKさんでした。「外血導入」のかけ声のもと、当時の自治省にお願いして、割愛人事により池田市へ派遣していただいた、当時29歳のキャリア部長です。この派遣に至る経過は、話せば長くなりますが、地元の大物代議士の応援なくして実現できなかっただろうと思っています。
   話を元に戻しますと、今の私なら「池田市長というのは世界でただ一人の市長だよ」と返すところですが、その頃の私にとっては何か魅力的な誘いでした。したがって答えは「どうしたらいいの?」でした。答えは簡単「インターネットで毎日市長の日記を発信するんです。インターネットでの発信は世界に向けての発信ですから、世界でただ一人、一番の市長になる訳です。」「????」正直、私は「インターネット」なるものを全く理解していませんでした。Kさんは根気強くその意味、意義について説明してくれました。
   その結果、平成8年9月20日

   皆さん、お待ちどうさまでした。私の考えからすると、約2週間遅れになりましたが、やっとの思いで、「市長とびある記」のスタートにこぎつけました。
   アゴラビルでのインターネットサロンのオープニングイベント一つ「全国池田・インターネット会議」も決して大成功といえるものではありませんでした。
   しかし、「失敗は成功のもと!」「チャレンジなくして成功なし!」をモットーに今後とも行政全般にわたり、「For
 the People」の信念のもと、積極的な「攻めの行政」を展開してまいります。
  
せっかく開かれた「市長とびある記」のコーナーで日々の実践の中身を、また、私自身が感じる疑問、憤りなどなど、自由に書き綴っていきたいと思っています。
  
原則として、土・日、祝日を除いて毎日発信の予定、倉田薫の「市長とびある記」。
   乞うご期待!そして、遠慮なくご意見をお寄せくださいね。

   という書き出しで始まった「池田市長 倉田薫の市長とびある記」がスタートしました。

   1000号は平成12年12月4日

   約50カ月を経過して、新しい世紀の幕開けを前に1000回を迎えることになりました。「石の上にも3年・・・」と言いますが、「パソコンを前に4年と2カ月!」本当によく続いたものです。「疑問や憤りを自由に書き綴る」ことができたかどうかははなはだ疑問ではありますが、時には簡単クールに、時にはいささか感情的に自分の思いを発信してまいりました。「『とびある記』は公文書か否か?」なんて無粋な問い合わせをしてくる人があったりして、結構楽しみながら続けてこられたように思います。これからも肩を張らず気楽に発信し続けていきたいと考えていますので、皆さんぜひ応援してください。

    と綴っています。

   そして、次なる2000回は平成17年2月4日、

   おはようございます。池田の朝、今日は曇り空のスタートです。
「市長とびある記」今日が2000回となりました。「石の上にも3年」といいますが「パソコンを前に8年4カ月と2週間」本当によく続いたものです。「自分で自分を褒めてあげたい」そんな気持ちです。1000回記念のときにも同じようなことを書いたと思いますが、その重み、感激は倍増しています。先日、2000回を前にして4人の職員に「印象に残っているとびある記、50選」を依頼しました。するとおもしろいもので、4人がすべて取り上げたのはなんとわずかに5件でした。

    と綴っています。

   3000回目は平成21年4月3日で

    それから皆さん、ビッグニュースを一つ。実は今日の「市長とびある記」はなんと3000号なんです。まさにギネスものですよね。中身はたいしたこともないとは思いますが、「継続は力なり」といいます、今後とも続けてまいりますのでよろしくお願いします。 

    とさらっと綴っています。

   そして、次なる記念すべき発信は平成23年11月9日になります。 

   平成8年9月20日、池田市長の市長とびある記がスタートしました。以来、今日で3621号になります。このような形で市長とびある記を終了することになろうとは夢にも思っていませんでした。でもおよそ15年間、本当によく続いたものです。今は京都府の総務部長を務めている当時の池田市企画部長の提案により始まったのが、この市長とびある記です。以来3621号とはギネスものですよね。「首長の使命」では豚もおだてりゃ木に登るの例を紹介しましたが、15年間にわたりこのとびある記を楽しみにして下さっていた皆さん、本当に申し訳ありません。本当にありがとうございました。


   少々以上に調子にのりすぎていたのかもしれません。
   池田市長として5期目の当選後、わずか半年を経過したのみであるにもかかわらず、大阪府知事選挙に出馬という暴挙により市長職を辞することとなったため「池田市長 倉田薫のとびある記」としては最後になるものと思って書かせていただいたのが、3621号です。

   そして次は、   

   いろいろ、いろいろあって、恥ずかしながら帰ってまいりました。この「とびある記」も平成23年11月9日以来、約4年と1か月半ぶりとなりました。
   今日は、市役所前で職員をはじめ市民の皆さんに迎えられて、緊張の初登庁です。初登庁後のご挨拶では「教育日本一、子ども子育て日本一の池田市」をめざすとともに各
分野で市民が笑顔で元気に頑張っていただけるような「10万人総活躍のまち池田」をめざそうと、そして今後のまちづくりの方向性を示す「9本の矢」とも言うべき「9つの基本条例の制定」に向けて庁内一丸の姿勢で取り組んでいこうとご挨拶申し上げました・・・。

 
 
4年と1カ月半の空白期を終え、またまた「池田市長倉田薫のとびある記」を再スタートしたのが、平成27年12月25日の3622号です。
   本当にいろいろ、いろいろあった4年と1カ月半のうち、約4年間は「前池田市長 倉田薫のとびある記」として、986回にわたり別途発信させていただいています。
   そして、平成27年12月25日以来、およそ1年半が経過した平成29年7月18日に記念すべき4000回目の発信となりました。
   この「池田市長倉田薫のとびある記」は私が池田市長であり続ける限り発信して参りますので、どうぞ今後ともお楽しみに! そして応援よろしくお願いします。