![]() ![]() (C)池田市教育委員会(池田市立歴史民俗資料館) (平成4年特別展『池田文化と大坂』図録より) 池田と黄檗宗との直接の関連は、麻田藩第二代藩主青木重兼が万治2年(1659)現池田市畑に麻田藩主菩提寺「摩耶山仏日禅寺」を建立したことにはじまる。 同年2月、隠元を招いた重兼は、「仏日重光」の義をとって「仏日寺」の額字を与えられ、翌3年冬、中殿の落成に際し、隠元を勧請御開山としている。ついで隠元の法嗣慧林性機を第1代住持に招き、同4年9月に開堂にいたった。同時に、寺額として200石の寄進をしている。 しかし、黄檗宗、もしくは黄檗文化は本来在郷町池田がもった文化ではなく、武土をはじめとする当時の支配階級にとってのものであった。ここでいう池田文化は、江戸時代以降幕府直轄領であった池田村を中心に、有力な商人たちの手によって形成、支えられてきたものである。したがって、ここで取り扱う黄檗宗・黄檗文化は、現在の池田市域の南半を領地とした麻田藩に関することであり、その基本的な性格を異にするものである。 ところが、その形成当初はそうであったかもしれないが、江戸時代後期の早い段階で後に述べるように麻田藩の財政は逼迫し、その財政改革にかかわった人物を介して、当初麻田藩二代目藩主青木重兼のもとなどに所持されたであろうこの方面の資料が、いつの時代のことであろうか、またどのような埋由によるものなのか、池田のひとびとの手に流出することになった。もとより、その経緯については明確にしがたいものがあり、また、その資料が池田にとってどの程度の文化的要素をもちえたかは不明であるが、その資料の特異性をもってここで取り扱うこととする。 (平成4年特別展『池田文化と大坂』図録p.31より転載) ●解説 (平成4年特別展『池田文化と大坂』図録p.p.31-36より転載) ・隠元来日と黄檗文化伝来 ・摂津麻田藩青木家 ・黄檗山萬福寺開創 ・青木重兼と隠元 ・嫡子不在であった麻田藩 ・憚悟爐文庫収蔵の黄檗関係資料 homepage&photo(c)池田市立歴史民俗資料館 リンクは自由ですが、無断複製・改変・流用・再販等は禁じます。 |