第5回ふくまる夢たまごセミナー(安全教育)

更新日:2021年02月01日

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安全教育 ?安全・安心な学校づくり?

 9月20日(金曜日)午後6時より、市教育センターにおいて、第5回ふくまる夢たまごセミナーを開催しました。今回は、安全教育をテーマに、市立五月丘小学校 矢野克巳 校長先生に講師をお願いしました。その概要についてお知らせします。

講話「安全教育?安全・安心な学校づくり」

 大森指導員の司会でセミナーは始まりました。矢野校長先生は、当時、附属池田小学校の副校長で、昨年に引き続いて講話をしていただきました。講話に先立ち、矢野先生の指示で、塾生・聴講生はホワイトボード近くに座席移動しました。

矢野校長先生の講話

 教員になって32年目である。昭和57年、石橋小学校に赴任し、10年間勤務し、主に算数・図工の研究をした。その後、附属小学校で11年間勤務し、最後の3年間は教頭兼副校長であった。附属池田小学校の事件があったのは、12年前の6月8日で教頭2年目だった。その後、4年間、能勢町で教頭、教育研究所(現在の教育センター)で1年間勤務した後、石橋小学校で教頭(4年間)、五月丘小学校で校長2年目である。どの学校にいても、「この学校は最高や」という気持ちで勤務してきた。附属小学校では、恵まれた環境の中で、図工の研究をやってきた。充実した教育実習も行った。
 2001年6月8日のことだった。前日にプール清掃をして、この日の午後、注水する予定であった。事件は、10時15分から10時20分の5分間の出来事であった。犯人は身長180センチメートルを超える大柄な男で、他校で校務員の経験もある。市内の包丁店で、出刃包丁と文化包丁を1丁ずつ買って、そのまま附属小へやってきた。いつも開錠している自動車通用門の前に車を止めて、校内へ入って来た。ここで、2年南組の担任に出会っている。この日は、午後から算数の研究会を予定していたので、担任は、その関係者かと思った。改めて、声かけが大事だと思う。
 「附属池田小事件」では、死亡者8名、負傷者15名の大惨事となってしまった。犯人は37歳、身長180センチメートル・体重80キログラム、子どもを守るか、犯人と対峙するか、瞬時に対応を求められた。目の前にあるものでしか対応できないという体験をした。
 当日は、児童通用口・正門の子扉・自動車専用の扉の3か所のうち、犯人は開錠していた自動車専用の出入り口から侵入した。花壇の近くで出会った教員は、侵入者に会釈はしたが、相手からは返しが無く、声はかけなかった。その後、犯人は次々に教室で児童を殺傷した。教室に設置していた電話で校内放送は可能だったが、うまく機能しなかった。その直後事務員の連絡で1階に下りてきた私と2年南組の担任と、2人で協力して犯人を確保した。実質5分間で8名が亡くなり、15名が負傷する大事件になった。
 とっさの時、教師に何ができるか。例えば、非常ベルを押すこともできた。もしかのときどうするのか、心づもりも体の準備も道具も用意しておく必要性を実感した。
 事件を教訓として次世代に伝えたいと考えた。そこで、事件経過についてまとめようとしたが、記憶の再生は、なかなか困難だった。しかし、それは、ご遺族のためにも学校の再開のためにも必要だと考えた。8月末の学校説明会で、今のような全容をまとめて保護者に謝罪した。それには、約2カ月を要した。これが学校再開の第一歩だと考えた。正直、救命は一生懸命した。しかし、組織だった救命活動ができなかった。大事な子どもの命を守れなかった。開かれた学校を標榜していた。外来者の中に危険な人物がいることを想定していなかった。
 学校危機の予防として、発生の予防、進行の予防、再発の予防がある。発生の予防については、教職員の危機意識が欠けていた。見通しできる状況を作っていなかった(自動車通用門の死角)。緊急連絡網は家庭電話をつないでいくものでしかなかった。全く機能しなかった。施錠が充分にはできていなかった。教室配置は、1年が1階で、一番侵入しやすかった。進行の予防については、指示系統を確立できなかった(一番の反省点)。自分がうろうろしてしまった。組織だった救命活動ができなかった。たいへん申し訳なく思っている。2階?3階の教員と情報の共有ができなかった。悔やんでも悔やみきれない。保護者への連絡の際、どこに搬送されたのかを確認できなかった。それが、ご遺族の傷を深めた。(子どもを運動場に避難させるのがやっとだった。)
 危機管理の甘い学校の例としては、校内でスリッパを履く教職員が多いこと。何かあったときに、スリッパでは走れない。また、教職員の名札着用率が低い学校。名札をつけるのは、「今日、着けて子どもを守るんだ」という自分の決心。
 事件後、仮設校舎に移った。プレハブのロの字型の校舎で学校を再開。学校の安全は、長いスパンで取り組むべき課題。教師は何ができるか、片隅にもって先生になってほしい。学校が危機になると、スタミナ、時間、労力、など様々なものが必要になる。自分の力不足を痛感する。新校舎は、体育館がガラス張り。事件のあったところはホールになっている。ご遺族の気持ちに配慮して、部分改修をした。事件のことでは、様々な方にご迷惑をかけ、ご遺族の方のつらさを感じながら今日まで来た。当時の子が、成人式を迎えようとしている。けっして、事件を風化させてはいけない。再発の予防について、PTSDを発症した子もたくさんいた。大学にメンタルサポートチームをつくっていただいた。事件後、毎晩2時?3時まで語り合った。緊急マニュアルや連絡網の改訂をした。

(ここで、学生は自席に戻る)

 

 この後、矢野校長先生は、レジメ「後世に伝えていかなければならないこと」に沿って講話をされました。「教員にとって、現在はたいへんな時代である。教育は、人材、やる気、研究熱心さが力になってくる。子どもの成長を願う教師なってほしい。採用試験、頑張ってください。」という話で締めくくられました。

(画像)矢野校長先生1
(画像)矢野校長先生2

 この後、矢野校長先生の話を受けて、当時、渋谷中学校の校長を務めていた丹松アドバイザーから、当時の状況を話しました。最後に、受講生の感想を紹介します。

  • 自分が小学校4年生の頃、先生方がバタバタとしておられたのを覚えています。ですが、それしか知らないということでもありました。今日、貴重なお話をうかがい、「知らない」ことへの怖さを感じました。少しでも知って、心に留めておくだけでも、いざとなった場合の行動が変わるかもしれません。なので、他人事として距離をおくのではなく、積極的に情報をとり入れ、発信・行動していくようにしたいです。
  • 今日は、とても心にささる衝撃がある内容でした。当時は子どもで詳しくは理解していませんでした。実際に関わった先生にお話を聞かせて頂き、初めて知ったところが多かったです。今の私達にできることは、この悲しい事件を忘れないこと、二度と繰り返さないことだと思います、安全教育について、今一度しっかり考え高い意識を持ちたいと思います。
  • 今日の矢野校長のお話を聞いて、自分の危機意識の甘さを改めて痛感しました。現場実習を行っていますが、実際に学校の先生方の危機意識を感じることができ、また、実際に学校の地図と犯人の経路、犯行時間を知り、その状況を想定したとき、頭に浮かんだのは、現在、大学の教育実習でお世話になっている小学校の、担当クラス、2年生の子どもたちの顔でした。1ヶ月の間ですが、彼らの安全、命を守るため、何が起こるか分からない気持ちを大切にし、実習に臨んでいきたいと思います。
  • 今日は矢野先生の貴重なお話を聞いて、事件当時、自分自身が近隣の小学生だったということもあり、はっきりと思い出す事ができました。事件の当時の対応は考えさせられる事がたくさんありました。先生一人一人の対応は合っていたのか?事件前から学校に問題はなかったのか?など考えればきりがないほどです。グループでの会話では話しきれないほどです。自分自身に、もしもの体験がいつ降りかかってもいいように、想定し、対策を普段からしておくという事を心がけたらと思いました。
  • 当時ニュースで流れていたことを今でも覚えています。たった5分間で8人の命が奪われたことを初めて知りました。現場にいた先生の瞬時の判断が重要だと思います。ですが、自分が今教壇に立ったときに子どもたち全員を守れるかと聞かれても、自信を持って「はい」とは答えられません。今日の話をもう1度振り返り、自分ならどうするのか、安全を守れるのか、考えたいと思います。「危機意識」を学校全体で学ぶなり、教員同士の考えを共有するべきだと思います。今日の話は、私にとって「安全管理」の重要さを考えられる機会になりました。
(画像)風景1
(画像)風景2

 塾生だけでなく、現場の先生方にも聞いてほしい、貴重な矢野校長先生の講話でした。犠牲になられた8人の天使のご冥福をお祈りするとともに、つらい、厳しい体験を披瀝いただいた矢野校長先生に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

 セミナーに関心のある方は、教育政策課にお問い合わせください。

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