第4回ふくまる夢たまごセミナー&フィールドワーク

更新日:2021年02月01日

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「池田市探訪」からフィールドワークへ


 8月23日(金曜日)午後6時より、池田市教育センターにおいて第4回ふくまる夢たまごセミナーを開催しました。この日は、セミナーに先立って、教員採用試験の1次試験を通過した塾生・聴講生を対象に、2次試験に向けての特別講座を開講しました。夢たまごセミナーの講師は、山口大学人文学部教授の田中晋作先生です。田中先生は、一昨年まで約30年池田市に勤務され、近年は歴史民俗資料館の館長として活躍され、専門の考古学をはじめとして、池田の歴史の第一人者です。今回は、この日のセミナーと、このセミナーを受けて8月31日(土曜日)に実施した「池田の歴史発見フィールドワーク?池田の歴史と能勢街道?」の概要について報告します。

8月23日 「池田市探訪」

(画像)探訪1
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 大森指導員の司会でセミナーは始まり、田中先生は、教育学部に在籍する学生が半数いることを確認した後、講義を始められました。

 今日は2つの話をする。1つは「日本史」として学ぶ歴史であり、もう1つはそれぞれの潜在的な意識の中に形成される、地域認識としての歴史である。後の方はやっかいである。学校の先生方には、後の方を考えて欲しい。勤務している山口で、2つのニュースがあった。1つは、短時間で集中豪雨があり、現在もJR山口線と山陰線が不通である。もう1つは、周南市の20軒ばかりの山間の集落で、地域に受け入れられないと感じた人が5人を殺傷する事件が起こった。地域の中で、価値観の共有、アイデンティティーの形成手段として歴史はきわめて有効である。そこでは、共通認識を持てなかった人に対して排他的な意識を持ちやすい。学校の先生は、地域の文化形成に密接につながっている。また、日常生活の中には、無意識のうちに生じる判断がある。
 池田市民へのアンケートで、池田はどんな所か聞いたところ、五月山公園があって自然が豊かである、良好な住宅地である、利便性に優れた町である、という回答が多かった。東西3キロ、南北7キロの市域で、人口10万人、人口は南部に集中している。この池田市の時間の認識と領域の変化について述べる。
 領域(空間)は時代とともに変動する。これから生きていく上で、空間の認識は大切である。中世から近世にかけて、「池田」という空間認識は狭くなっている。
 池田には歴史的な特性が4つある。1つは、古代の「渡来系氏族『秦氏』による猪名川流域開発」である。池田は、当時の最新の技術を誇った集団が派遣される重要な場所であった。秦氏のリーダーの墓と考えられる鉢塚古墳の石室の高さは、飛鳥の石舞台より2メートルちかくも高い。出土する土器を分析すると地域のつながりがわかる。土器が似ている範囲は通婚圏になっている。
 2つめは、中世の「摂津の国人池田氏の盛衰?信長に敢然と立ち向かう覇者?」である。府内には400の城が築かれたが、その9割以上は中世の城である。池田城は中世の城のベストテンに入る。池田城は、南北550メートル、東西350メートルの規模である。現在、府内には天主のある城は3つである。中世の摂津国には、細川氏の下に池田氏、吹田氏、津田氏、能勢氏、塩川氏などの国人が割拠しており、後の市町村名になっている。そこへ、永禄11(1568)年、信長が上洛し、三好三人衆と対峙したが、次々に国人は信長に降伏し、池田氏は最後まで戦った。信長は五月山の中腹に陣を張って池田城を攻めた。西国への備えとして池田?尼崎ラインの防衛を考える信長にとって、池田は自分の手でどうしても潰しておかなければならない所だった。子どもたちにも、「信長の来た町」ということを伝えたい。
 3つめは、近世の「経済的繁栄を誇った在郷町池田」である。在郷町池田は、都市でも農村でもない、職人が住む生産を行う所であった。当時の通常の村は300?500人が平均的な規模であったが、池田には1キロ四方に5,000人住んでいた。池田は、「北摂の十字路」であり、大阪と能勢、京都と西宮を結ぶ幹線が交差している。物資が集まり、問屋、輸送業者が多数存在した。池田炭は、今もグラム単位で販売されている。川西市や豊能町・能勢町など奥郷で作られた物が池田に集められた。池田には38軒の造り酒屋があった。酒づくりは、米を原料にするので、米で生活している武士の生活を安定させるために、幕府による規制が強かった。池田の酒の9割以上は江戸へ運ばれ、江戸で消費される酒の2割近くは池田の酒であった。経済力を誇った池田には、多くの芸術家がやって来た。日本画四条派の創始者である呉春もその1人である。池田は、芸術的なものを理解する資質を持った町であり、文化的資質も高かった。
 4つめは、近代の「明治維新と新生池田?小林一三による周到にして大胆な実験?」である。阪急百貨店や宝塚歌劇は、小林一三が作った。阪急百貨店は、ターミナルデパートのはしりである。一三は、大阪と郊外を結ぶ箕面有馬電気軌道を作った。鉄道開発は、通常、都市と都市を結ぶものである。一三は、池田の都市計画を創り、室町住宅を開発した。1軒100坪の家を200軒建てた。当時の大阪は「煙の都」であり、環境が悪くなっていた。一三は、ロンドンやニューヨークのような職住分離を考えた。電鉄会社による不動産会社設立のはしりである。この後、豊中、桜井、仁川なども開発した。その典型的な例がロンドンの南西20キロの地にあるハウステッド・ガーデン・サバーブである。ここには、幼稚園から短大まである。一三は、心と体のケアを図るため、回生病院を誘致した。室町には、さまざまな文化人が住んだ。童謡「鳩ぽっぽ」の作詞者「東くめ」もその1人である。ここでは、娯楽のクラブが設置され、購買組織も導入された。下水の整備や警備体制も整えられ、ハウスレス・キンダーガーデン(現、室町幼稚園)も設立された。こうして、小林一三の時代から池田は大きく変化する。池田の町を一言で言うと、成熟した町、言い換えると高齢化の進んだ町でもある。下水道普及率も高く、都市基盤が優れている。
 第二次大戦後の武田市長誕生にも、小林一三がかかわっている。一三は、都市の周辺に町をつくった。都市では、環境の悪化や伝染病の広がりが懸念された。池田は、都市化がうまくいった町で、環境もいい。都市の祭りは夏に行われ、集住しているから火災が怖い。池田では、伝統のがんがら火祭りが行われている。また、池田には町の「顔が」ある。1つの空間の中で無意識に地域認識が醸成される。池田の町は、持っている「空気」がある。それは、町が成熟している証である。新しい町、作られた町が成熟していくには、人が大切である。安藤百福もその役割を果たした1人である。
 子どもたちは、好きな先生が好きなことを好きになる。比較する、考える、判断するのは、知識である。みなさんには、良質な知識を持ってほしい。生涯にわたって生かせる良質で豊富な知識をもってほしい。

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 この後、恒例の班別協議を行ないました。。次に、協議の後の塾生・聴講生の感想を載せます。

  • 本日は、たいへん貴重なお話をして頂き、ありがとうございました。池田市の教員をめざすのであれば、自らが「池田大好き」という気持ちにならなければいけないと感じました。池田に通うこと2年余りですが、私はまだまだ池田のことを熟知しておりません。今日の講義を聴いて、「知りたい」「学びたい」、また子どもたちに「教えたい」という「たい」の気持ちで一杯です。私自身、多くの本、博物館、歴史的伝統文化に触れる機会を増やし、良質な知識を身につけ、子どもたちに伝えていきたいと思います。
  • 今日の講義では、田中先生から池田市についてのお話を始め、歴史やまちのことについてもたくさん聞くことができました。私は、昨年に引き続いての受講をさせていただいているため、お話を聞くのは二度目でした。自分の中での認識や、知識の量は今日、また確実に深まり、確かなものになったと感じています。地域を知ること、愛すること、そして何より教師として、子どもたちに何を教えたいのか、良質な知識を持って先生になりたいと思うことができました。
  • 私は、池田に生まれ育ちました。しかし、今日お話を聞かせて頂き、自分の町のことを全然知らなかったと思いました。今日のお話を聞かせて頂き、池田ってすごい町だな、池田で育ってこられて良かったなと改めて思い、一段と好きになりました。学校・地域で育つ子ども達にも是非感じてほしいものです。好きになるよう、伝えたり、取り組んでいきたいです。
  • 貴重なお話をありがとうございました。以前に池田のことを勉強したことがありましたが、まだまだ知らないことだらけで、また、田中先生の知識量に驚かされました。特に、無意識の判断は、言動に出るというお話(教師は歴史認識や人権意識に気を付けなければいけないと再認識しました)と最後の「知識には2種類ある」というお話が印象的でした。最後のお話は、「この勉強って何の役に立つの?」とすぐに役立つ知識ばかり求めがちな子どもたち(や大人)に大変ひびくのではないかと思いました。今日は、お話ありがとうございました。
  • 地域アイデンティティが形成されるなんて、今まで思わなかったことです。でもたしかに、人それぞれによって、そのまちのイメージを描きながら話しているなあと実感することができました。私は箕面なので、今日、池田市のことを知れてすごく勉強になりました。小林一三の資料館(?)という表示を地図でみていたので、今日ちょうど知ることができて嬉しかったです。資料館etcをもっともっと活用して池田のことを知りたいなあと思いました。池田はお酒づくりも盛んで、江戸での2割のお酒を池田産が占めるという事実は驚きでした。ありがとうございました。
  • 生まれた時から住む池田なんですが、知らないことが多くて興奮しました。きっとこの興奮は池田が好きだからで、小・中と充実した生活を送れたからだと思います。子ども達に池田の歴史に興味を持たすには、池田を好きに、学校を好きになってもらうことが大切だと思いました。今日は話を聞いて子どもの様な気持ちに戻ることができて素直に「へぇー」と笑顔で聞くことができました。これから少しずつでも、自分でこの池田を知っていこうと思います。ありがとうございました。

8/31 池田の歴史発見フィールドワーク

 田中先生の講義を受けて、8月31日(土曜日)の午後、池田の歴史発見フィールドワークを行いました。今回のテーマは、「池田の歴史と能勢街道」です。案内役は、丹松セミナーアドバイザーが務めました。コースの概略は、以下のとおりです。

阪急池田駅 → 呉服神社 → 室町住宅 → 呉服座跡 → 西光寺
→ 吉田酒造 → 落語ミュージアム・ビリケンさん → 呉春酒造
→稲束家 → 伊居太神社 → 星の宮 →小林一三記念館  → 
逸翁美術館 → 池田城址 → (阪急バス) → ニ子塚古墳 → 石橋駅

注意事項 途中、旧街道の道標を見学

 午後2時に阪急池田駅を出発しました。最初の見学地は、織姫クレハトリを祭神の一つとする「呉服神社」です。境内には、クレハトリの墓と伝えられる姫室があります。今では、「池田のえべっさん」として有名な神社です。神社の前は、園外保育で名を成した「室町幼稚園」です。このあたりは室町住宅の一角ですが、明治43(1910)年に小林一三が箕面有馬電気軌道を創り、室町住宅を拓くまでは、田圃の中に神社だけがぽつんと建っている状態でした。室町会館の前には、室町憲章の碑が立っています。室町は、今も当時の面影を残しています。

(画像)フィールドワーク1
(画像)フィールドワーク2

 室町から猪名川の土手を北に辿ると、呉服橋の南側に「呉服座址」(くれはざあと)の銅版の碑(銘板)があります。呉服座は、北摂の交通の要衝として栄え、娯楽も盛んであった池田を代表する芝居小屋です。国の重要文化財として、現在は博物館明治村に移築されています。ここから国道176号線を北に横断します。江戸時代には、ここには橋は架かっていませんでした。旧道は、中山観音や有馬に通じる道で、それを示す道標が現存します。さらに北に向かって国道173号線を横断します。
 「西光寺」には、池田の酒屋出身で当時の関脇まで上り詰めた猪名川政右衛門の墓碑があります。その東隣には、「緑一」の銘柄で酒造りをしている吉田酒造があります。玄関には杉玉が掛かっており、伝統的な酒屋の店構えを見ることができます。そこから南に出ると、現在の芝居小屋「呉服座」(ごふくざ)があります。かつてはアーケードがあり、池田を代表する商店街であった西本町は、本町の名にその名残があります。道筋には、落語ミュージアム、ビリケンさん、元銀行のインテリアカワムラがあります。そこから、栄本町の呉春酒造の前を通って、北の伊居太神社をめざします。途中、酒屋であった「稲束家住宅」を通ります。稲束家には、戦前まで200年間近く書き継がれた稲束家日記が伝えられています。

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 「伊居太神社」の祭神の一つは、織姫のアヤハトリです。境内への参詣道は、森林浴のできるすばらしい風情です。境内には能舞台があります。在郷町として繁栄した池田では、がんがら火祭りを始め、相撲や能楽、そして芝居の興行が盛んでした。そして、多くの文人が池田を訪れる文化の薫り高い町でした。町人の学問である心学も盛んでした。ここから、ハローワークまで移動し、旧能勢街道に戻りました。クレハトリ・アヤハトリの二人の織姫が星明かりの元で織物を織ったと伝えられる「星の宮」を訪れます。境内の前には、「左 京大坂道」の道標があります。ここから北の「小林一三記念館」に行きました。入り口は、江戸時代の庄屋の長屋門を移築したものです。記念館は、小林一三の居宅だった所です。一三は、企業家の顔の外に、茶人としての素養が高く、また、多くの書画をコレクションしています。それらは、「逸翁美術館」で見ることができます。ここから、北へ「池田城址」に向かいました。池田城は、国人池田氏の居城です。府内の中世を代表する城の1つです。現在の櫓風展望休憩舎は当時には無く、観光用に建てられた物です。この城は南は旧の能勢街道、北は深い谷の杉ヶ谷川、東は池田中学校の西の端、西は急峻な崖になっており、自然の地形を生かした丘山城で、そこに空堀を配していました。城跡からは、信長に謀反を起こした荒木村重の居城、有岡城(JR伊丹駅前)を望むことができます。

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 ここで一休みして、大広寺前から阪急バスを利用して、水月公園前まで行きました。
 ここから、再び、旧能勢街道に戻り、井口堂に出ました。勝尾寺に通じる巡礼道との分かれ道には、「右 大坂」の道標を見ることができます。そこから南へ向かうと東側に二子塚(稲荷山)古墳を見ることができます。この古墳は6世紀の前方後円墳で、さらに東の石橋中学校のプールのところには、6世紀末から7世紀初めの円墳の址が見つかっています。そして、阪急バス石橋営業所の中を通って、解散地点の石橋駅前に着いたのは、午後5時でした。
 台風の影響を気にしながらの道中でしたが、幸い雨も降らず、残暑の厳しさも幾分やわらいだ中でのフィールドワークとなりました。熱心に説明に耳を傾けてくれた学生のみなさんに感謝します。この日の学びが、池田の教材化などの一助になれば幸いです。最後に、このフィールドワークの道筋を付けていただいた田中晋作先生に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 次回の9月20日(金曜日)のセミナーでは、五月丘小学校の矢野校長先生をお迎えして、「安全教育」をテーマに講話をしていただきます。セミナーに関心のある方は、教育政策課にお問い合わせください。

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