勝部如春斎と葛野宜春斎

更新日:2021年02月01日

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勝部如春斎と葛野宜春斎

 池田に大きな影響を与えた狩野派の画家がもうひとり知られている。西宮の勝部如春斎である。かれは享保6年(1721)灘西宮の有力な酒造家雑喉屋源十郎の次男として生まれ、大坂の狩野派の画家櫛橋栄春斎の門に人り一家をなした画家である。明和元年(1764)におよんで当時の左大臣九条尚実から如春斎の号目を賜っている。 また、動物、なかんずく、猿の写生画を多くのこしたことで有名な森狙仙の師としても有名である。
 如春斎と池田との開係は、弘誓寺蔵「松桜に孔雀図」・「松楓に孔雀図」の存在からも明らかにできることであるが、さらに池田の酒造家葛野含春斎がかれに師事していたことが知られている。しかし、残念なことに、含春斎は安永9年(1780)夭折し、池田では現在その作品を目にすることができない。ところが、含春斎の子宜春斎がやはり父同様如春斎に師事していた。
 宜春斎の生まれは明和8年(1771)であることから、父の死亡時には10歳、さらに、如春斎の没年天明4年(1784)には弱冠14歳だったことになる。しかし、かれの晩年の作「呉月溪翁画像」にある呉策の賛は「池田葛宜春斎君初学画干如春山本氏後師翁」と述べていることから、宜春斎も少年時代に父とともに如春斎に師事していたとみてよさそうである。この賛にみられる山本は後に勝部とが混乱した際のものといわれている。呉策は大坂の肥前屋又兵衛のことで、含春斎の妻宴の伯父にあたる人物である。

(平成4年特別展『池田文化と大坂』図録ページ28-29より転載)

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