青木月斗の流れ

更新日:2021年02月01日

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青木月斗の流れ

 池田では、すでにふれた碧梧桐とともに子規の流れを汲む月斗の大きな影響が残されている。ちなみに月斗の妹茂枝は碧悟桐の妻である。月斗は、大阪の薬問屋を営む商家から出た人物で、同様の経歴をもつ芦田秋双・鳥道素石、また、水落露石らを中心とした句会が明治以降大阪を中心に展開していた。 江戸時代以降、大阪との深い関係からか、池田では『ホトトギス』とは異なる在来の商業都市大阪の強い影響が認められる。とくに、月斗らの色彩が色濃く、その中心となったものが、大正から昭和にかけて月斗門下にあった神田南畝・藤田露紅らである。
 とくに南畝は、月斗の強い影響を受けた人物で、 月斗自身池田に足を運ぶことが多かったという。かれは大正7年永尾宋斤を介して月斗の門に入り、同15年宋斤が主宰した『早春』の中心メンバーとして創作活動を統け、戦時中一時停刊するが、戦後昭和21年復刊と同時にその主宰者となる。
 露紅は、昭和初期ころまで月斗に師事し、のち秋双が主宰した『大樹』の編集に携わっている。また、昭和13年『新月』が創刊されるにあたり『大樹』を離れその編集の任を担ったが、同24年には自身が主宰する『筧』を創刊するにいたる。南畝・露紅などの流れは、大阪と池田が共有した江戸時代以降の文化的な伝統の上に立ったものといえる。かれらが受け人れ、継承してきたものは池田文化の延長線上に位置付けることができるものかもしれない。

(平成4年特別展『池田文化と大坂』図録ページ16-18より転載) 

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