『大阪府下池田町便覧 附細河村川西村』(大正10/1921年)

更新日:2025年04月01日

ページID : 11252

本冊は、大正10(1921)年12月、青柳隈太郎が紺田伊之助・矢野武雄とともに編纂し、荒木町(現在の大和町・菅原町の一部など)の池田便覧社から発行したものです。

町史と村史を重視しているものの、200ページ余りの本文に対して別に会社や商店の広告に200ページ近くがあてられており、当時の産業・商業の状況を詳しく見ることができる貴重な史料です。

池田町便覧の表紙の写真

目次

○第一編「総説」(p1~2)
 池田町の沿革・位置・地勢について略述

○第二編「池田町史」(p3~42)
 商都としての池田市の起源と変遷、池田酒泉史について述べる

○第三編「社寺及び名勝旧蹟」(p43~58)
 池田町の社寺と名勝旧蹟について述べる

○第四編「池田町勢」(p59~123)
 当時の池田町の行政・教育・兵事・農事・衛生・交通・土木などについて述べる

○第五編「池田商況」(p124~171)
 当時の池田の銀行・会社・同業組合・著名な商家・工業を紹介、その他、芸術・娯楽にもついても述べる

○附「細河村川西村」
 池田町に隣接する両村の実態を様々な分野にわたって略述

【本文】

ちょっと深掘り!

広告について

掲載広告の例

冊子の約半分を占める広告には、大正期ならではの意匠も多く見られ、当時の池田や世の中の雰囲気を感じることができます。

新聞に関する広告の例

新聞や雑誌の広告も掲載されています。
『東陽新聞』『敷島新聞』『婦女の友』、これらはいずれも池田町で創刊されたものであり、当時、池田では出版活動も活発だったことが分かります。
大正期に池田町で創刊された新聞・雑誌としては、これらの他にも、『太陽新聞』『中外新聞』『婦女世界』などがありました。

(『新修池田市史』第3巻より引用)

※上記広告の配置については編集を加えており、本文中の掲載順・配置とは異なります。

裏表紙について

池田町便覧の裏表紙の写真

裏表紙は阪神急行電鉄株式会社の広告。
本冊が発行されたこの年、同社は十三・神戸間の開通(大正9/1920年)に続き、宝塚・西宮北口間(西宮宝塚線、現今津線)を開通。阪神間に路線を拡大していました。広告は、当時の様子をよく伝えています。

また、阪急以外にも、同年に北大阪電気鉄道が現阪急千里線を(大正12年に新京阪鉄道に事業譲渡)、大正13年に新京阪鉄道が現阪急京都線を開業するなど、昭和初期には北摂地域一帯に私鉄網が形成されました。

この時期、いくつもの電鉄敷設計画が池田市地域に現れましたが、私鉄競合時代に入った後で多くは消えていきました。

(『新修池田市史』第3巻より引用)

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