蝸牛廬文庫(1)摂津国豊島郡池田村文書

更新日:2021年02月01日

ページID : 3220

凡例

 文書目録の記載は、(1)資料番号(2)表題(3)作成者または差出人、宛名(4)作成年次(5)形態・数量の順に従った。表題のないものについては仮題を(  )に入れて示した。また、表題だけでは内容を知ることができないものについても、(  )に内容の簡単な説明を行った。
 (5)形態・数量については、横一冊とあるものは横帳を示す。冊子でそれ以外のものはすべて縦帳である。
 本目録・解題の作成には、京都橘女子大学(大阪大学)文学部助教授村田路人があたり、大阪大学文学部国史研究室の院生・学生諸氏の協力を得た。

摂津国豊島郡池田村文書 目録目次

蝸牛廬文庫文書について 京都橘女子大学(現大阪大学)助教授 村田路人(『蝸牛廬文庫目録(1)』ページ1-3より転載) 

  • 蝸牛廬文庫文書の構成
  • 池田村の概要
  • 池田村の村政(村・株・町)
  • 池田村の商業および諸産業
  • 池田村の交通(猪名川通船・馬借)
  • 池田村の領主支配
  • その他(戸口・御蔭踊・飢饉)
  • 参考文献

蝸牛廬文庫文書の構成

 本目録は、大阪府池田市に在住した故林田良平氏が長年にわたって収集された古文書の目録である。
 林田家は幕末期、林叟のときに摂津国川辺郡林田村(現兵庫県川辺郡猪名川町林田)から大阪府池田市(当時は同国豊島郡池田村新材木町)に移り、炭商売と酒造業を営んでいた。良平氏は林叟から数えて四代目にあたる。
 今回目録化した蝸牛廬文庫文書は総数約1300点、大半が池田村文書(『蝸牛廬文庫(1)』分類項目A)で、約1200点を数える。このほか、摂津国豊島郡畑村文書(B)、同国川辺郡小花村文書(C)・小戸村文書(E)、同国武庫郡中村前田家旧蔵文書(D)・今津村福田家旧蔵文書(F)、勝尾寺・滝安寺関係文書(G)、豊島郡新免村・轟木村明細帳(H)、豊島郡文書(I)、その他(J)を含む。このうち、D・FおよぴAの中で林田家文書・稲束家文書としたものは私的文書としての性格が濃いが、それら以外はGを除いて村の公的文書である。なお、畑村・小花村・小戸村は池田村に接していた。したがって、蝸牛廬文庫文書のほとんどが、池田村およぴその周辺諸村の古文書ということになる。
 蝸牛廬文庫文書の中心的部分である池田村文書に関しては、その一部についてすでに林田氏自身による分類が行われている。今回の目録作成にあたっては、それを重んじつつ改めて43の分類項目を設定した。Aの2・7・9・13・14・21・22・23・24・27・31・33・34・35・36が林田氏によって設けられていた分類項目である(これらのうちのいくつかについては、池田郷土研究編集委員会編『池田郷土研究』第4号(1977年)に、氏の手になる文書一点毎の要点解説がある)。池田村文書以外のものについては、比較的点数の多い畑村文書を除き、分類項目を設けることはしなかった。

  池田村の概要

 次に、蝸牛廬文庫文書の内容について池田村文書を中心に解説を行うが、その前に池田村の概要を述べておこう。
 池田村は摂津国能勢・川辺郡の山地を後背地にもち、猪名川中流域に位置する村である。村の中を能勢街道が通り、街道に沿って早くから集落が発達した。その有利な地理的条件に支えられ、近世以降、在郷町として北摂商品経済の中心地たる地位を占めるようになる。元禄10年(1697)段階では商人239戸、職人78戸、日用158戸を数えている(むろん、この他に多数の百姓がいた)。
 池田はこのように、町場として発展していったのであるが、行政的には村として扱われた。村高は元和3年(1617)のものと考えられる「摂津一国高御改帳」では1667石7斗5升、明治元年(1868)の「旧高旧領取調帳」では1729石1升4合となっている。支配変遷は、初め幕府領、正保3年(1646)から明暦2年(1656)まで京都所司代板倉重宗領、その後幕府領となり、元禄6年(1693)から宝永2年(1705)まで柳沢吉保領、引続き同5年まで高崎藩松平輝貞領であった。その後幕府領となり、正徳3年(1713)池田町株300石が近衛家領となった。近衛家領が享保12年(1727)に収公されたあと、文久2年(1862)、1000石が九条家領となり、明治維新を迎えた。
 池田村は正保期から正徳期に至る間に、上池田株・西池田株・中池田株・下池田株・池田町株の5株に分かれた。株分けは地域割りではなく、
各家がいずれかの株に所属するという形で行われたが、一方各株はそれぞれその支配する町々を有していた。その内訳を示すと次のようになる。
 上池田株:立石町、上池田町、宇保
 西池田株:荒木町、林口町、田中町、槻木町
 中池田株:米屋町、柳屋町、米山ノロ町、北新町、元新町、新材木町
 下池田株:甲ケ谷町、中之町、小坂前町、西ノロ町、大西町
 池田町株:東本町、西本町、内田町、寺内町
 村役人・町役人については制度的変遷があるが、文政5年(1822)以降についてみれば、池田村全体を統轄する取締役のほか、各株に庄屋・年寄・百姓代、各町に町行事が置かれていた。

池田村の村政(村・株・町)

 さて、約1200点の池田村文書のうち約170点が近代文書(ほとんど明治初期)であるほかは、中世文書1点を除いてすべて近世文書である。近世文書については、約250点が17・18世紀のもの、他は19世紀のものである。以下、池田村文書の簡単な解説を試みる。
 先にも述べたように、池田村は21町から成ると同時に5株に分かれていた。この独自の村(町)政機構を示すものが「7村政」の文書群である。これは「30金融」のそれに次いで点数が多く、100点を超える。時期的には文政・天保期のものが大半を占めている。これは、この時期に町行事の機能強化等の村政改革が行われたためである。この改革の経緯や、村・株・町の三者の関係をこれらの文書から知ることができる。また、村政に関連するものとして、「3土地」にあげた庄棟関係文書がある。庄棟とは村入用の賦課単位で、天明3年(1783)に改正があり、以後屋敷地高1石につき庄棟1軒、田畑に家が建てられた時はその半分と計算された。

池田村の商業および諸産業

 次に、在郷町池田において発展をみた商業およぴ諸産業に問する文書も、当然のことながら多く存在する。「22炭」・「23酒造」・「24市場」がそのうちでまとまったものである。池田の炭は能勢・川辺郡で焼かれたもので非常に有名であった。「22炭」の文書群は、天保期に発生した、生産地村々と池田炭屋との炭買取り値段をめぐる争いに関するものがほとんどである。生産地村々は池田炭屋が不当に低い価格で炭を買いたたいているとして、薩摩屋佐助、のちには北国屋金兵衛を一手引請け問屋に立ててそれに対抗したのであった。
 酒もまた池田の名産で、江戸へ積み出されていた。酒造関係文書では、酒造米高、酒造仲間、酒造場・酒造道具に関するものなどがある。
 市場関係文書は、特権的な市場問屋仲間による、仲間外商人の新問屋企て阻止に関するもの、出買・途中買禁止や市場取替銭に関するものなどが中心である。この項の文書群は「13猪名川通船」・「14池田馬借」の文書群とならぴ、池田村文書には数少ない近世前半期のものを多く含んでおり、その点においても貴重である。
 このほか、「27鑪鞴鋳物師」の文書群も注意されてよい。当時鋳物師は真継家の支配をうけており、ここには同家が発行した鋳物師職免状や鋳物師鑑札、鋳物師株売買をめぐる文書が含まれている。

池田村の交通(猪名川通船・馬借)

 池田が交通の要衝であり、それによって在郷町としての発展があったことは先にみた通りである。そのため、池田村文書には交通に関する文書が比較的多い。「13猪名川通船」・「14池田馬借」・「15交通」の文書群がそれである。「13猪名川通船」の文書群は、猪名川に船を通そうする船方の願いに対し、池田村馬借たちがその差し止めを願ったことに関連して作成されたものである。「14池田馬借」の文書群は、瀬川・半町の馬借と池田の馬借との争いを示すものが中心である。池田は近世初頭より馬借所として認められていたが、のち天和2年(1682)、困窮のため、池田自身の願いによって馬借高札が引上げられた。しかし、その後池田は在方の無役の牛に酒樽荷物をつけ、瀬川・半町の馬借の権利を侵したため、争いが起こったのである。なお、池田馬借は、将軍の代替わり毎に諸国に派遣される巡見使が同地を通行する際、伝馬役を負ったが、それに関する文書が「2巡見伝馬」の文書群にある。

池田村の領主支配

 次に、領主支配に関しては、 「1支配」・「3土地」・「4年貢」・「5租税」・「6諸役」・「12治安・救恤」などの項があげられよう。このうち、「4年貢」の文書群はほとんどが、かなりの程度の連年性を有する、18世紀中期から19世紀前期までの池田村宇保分の年貢免定・年貢皆済目録である。これらによって、年貢率の変化だけでなく、領主(ここでは幕府代官)変遷の様子を知ることができる。また、「12治安・救恤」の文書群では、明治初年の鉄砲・武器取調べに関するものが興味深い。

その他

 以上、村政、商業・諸産業、交通、領主支配のそれぞれについて、関連する文書をみてきたが、これら以外のものも多くが池田の町構成や住民生活を知る上で重要である。なかでも、「10戸口」の文書群からは各町の人口変遷や婚姻関係を、「34御蔭踊」・「35飢饉」の文書群からは天保期の社会情勢を知ることが可能である。

参考文献

(付記)解題執筆にあたっては、以下の文献を参照した。

  • 『池田市史 概説篇』(1955年)
  • 『新版池田市史 概説篇』(1971年)
  • 『資料館双書第1集 池田の文化と資料 近世の文人』(池田市立歴史民俗資料館 1981年)
  • 松下(現姓田中)万里子「畿内在郷町における町政機構-摂津国池田の場合-」(梅渓昇教授退官記念論文集刊行会編『日本近代の成立と展開』思文閣出版1984年)
  • 『日本歴史地名大系第28巻 大阪府の地名』(平凡社 1986年)

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