和歌・俳諧の隆盛と全盛

更新日:2021年02月01日

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和歌・俳諧の隆盛

 肖柏が池田をさってから一時低調な時期を迎えるが、17世紀なかば、明暦のころ、松永貞徳の貞門俳諧に親しむ佐伯一族の名が貞徳門の安原貞室編の『玉海集』にみえ、寛文年間(1661~1672)には同門の津田道意が池田に居を移している。その後西山宗因の談林俳諧が隆盛し、かれ自身池田の酒造家菊屋を訪れている。さらに、貞徳の孫弟子平間長雅が池田久安寺に隠棲し、この地に大きな影響を与えることになった。また、17世紀後半には阪上稲丸が出『俳諧呉服絹』を編んだ。

和歌・俳諧の全盛

 呉春の来往に触発された天明年間(1781~)から19世紀前半、文化・文政期は、池田の和歌・俳諧、とくに俳諧の全盛期にあたる。呉春・蕪村の門人で池田に呉服井筒屋の出店をもった川田田福・酒造家東大和屋山川星府らに続いて、酒造家菊屋の井関左言・『呉江奇覧』の編者井上遅春・二条家の俳諧興業に招かれた松下一扇・阪上呉老らが輩出した。
 しかし、幕末の世相騒然としたなか、池田もその例外ではなく、山川正宣およびその周辺のひとびと亡き後、和歌・俳諧はじょじょに低調となり、明治を迎えることになった。

(池田市立歴史民俗資料館平成4年度特別展『池田文化と大阪』図録ページ10-11より転載)

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