黒松家資料目録(1)

更新日:2021年02月01日

ページID : 3241

『黒松家資料目録(1)』はじめに

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1)乍恐口上書ヲ以奉歎願候(せい造酒の分改方に付)

慶応3年10月8日 摂州豊嶋郡池田村米谷屋せい代判吉右衛門より九條役所宛

2)譲り渡申田畑之事

(前年年貢未進銀滞のため村方へ引取置の田畑をこの度老年退役に及び新庄屋役へ譲渡に付)嘉永3年7月庄屋九八郎より庄屋理右衛門

 3)一札之事(牛馬往来差支えのため高札場所移動約定申状)

安政6年12月上池田庄屋伊三郎他4名より頭行司役友右衛門他4名宛 

4)唐物取締被為仰付候一件御請書并大坂三郷触書之写 その1

安永8年9月11日 唐薬問屋年行司・薬種仲買年行司他11仲間より奉行所

唐物取締被為仰付候一件御請書并大坂三郷触書之写 その2

安永8年9月11日唐薬問屋年行司・薬種仲買年行司他11仲間より奉行所宛

5)薬種屋合薬屋名前帳 表紙

文久元年11月 池田組改役亀屋徳兵衛、竹野屋理右衛門より

6)保生散引札

 黒松理右衛門より(明治以降)

はじめに

 「黒松家資料」は、もと黒松多賀彦氏(元池田市栄本町)が所蔵された貴重な地域文化資料です。その内容は、古文書・書画軸・民俗資料等厖大多岐にわたる資料から構成されています。これらの資料は、黒松多賀彦氏のご厚志により、開館以降数次にわたって提供されてきたものです。
 黒松家は、屋号を竹野屋といい、紀州竹野から尼崎を経て、18世紀中頃に当地に移り住んだといわれています。池田では、19世紀の前半には、池田村の肝煎や庄屋を勤め、また、幕末に、池田村の一部が九条家の支配に編入された際には、九条家領役所と池田村との差配を担うなど重要な役割を果たしていたことが知られています。さらに、江戸時代、石田梅岩によって提唱された庶民教学「心学」の普及において、池田で心学講舎「立教舎」を主催するなど文化面でも大きな足跡を残しています。
 一方、当地において薬種屋経営にも携わり、池田村およびその周辺地域の薬種業界の中核的な位置を占めていました。このように、黒松家は、江戸時代以降、当地において政治的・経済的・文化的と多方面において活躍していたことが窺われます。
 ところで、ご存じのように、池田は江戸時代にすぐれた酒を産し、また、池田炭の名に代表されますように、北摂地域の物資の集散地として経済的繁栄を誇ってまいりました。この繁栄のもと、多くの文人墨客がこの地に去来し、多彩な文化活動が展開されました。
 本資料は、こうした池田がもつ豊かな歴史的・文化的特性を裏付ける資料としてかけがえのない価値を有していることはもちろんのこと、今後さらに、北摂地域の歴史を解明していくうえにおいてなくてはならないものであると確信いたしております。
 今回は、当資料館の収蔵となりました「黒松家資料」のうち、古文書の一部について目録化したものです。ここに、本目録を公にすることによって「黒松家資料」、さらには、池田を中心とする地域研究が深化されますことを願ってやみません。
 最後になりましたが、本目録作成にあたりご尽力を賜りました大阪大学文学部助手中川すがね先生、玉稿をお寄せいただきました大阪大学大学院生松迫寿代氏、大阪青山短期大学生赤嶺富子氏・同鈴木祐子氏、大阪大学大学院木下光生氏、また、関係各位に対しまして深甚の謝意を表すしだいです。

平成8年3月21日池田市立歴史民俗資料館
(『黒松家資料目録(1)』(平成8年3月30日発行)「はじめに」より転載)

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